いつ恐怖から解放されるのか|香港の治安法
治安法の内容や歴史的背景等は書いてません。ただの感想文です。
香港への「国家安全法」の導入が先日発表されましたが、
今日早速香港でデモがあり、そのデモライブをYoutubeで観ていました。
故郷である台湾がもしいつかそうなったら、、と観ながらついに考えてしまい、すごく泣きたくなりました。
台湾人として生きていくという事
台湾人として生きているという事は、一生倒せない敵と戦えないといけないという事です。
生まれた時から、意識のない時から、祖父祖母の代から、自分の存在を否定し、消滅しようとする相手がいる事で、危機意識を持ち始めたり、政治に敏感になったり、します。
若者を含め、台湾人は政治に関心があるとよく言われますが、関心を持たざるをえないからです。
今表面上は平和だと言っても、いつか「自由」を失うかもしれないと考えたら、その大切な自由をどうやったら守っていけるのかを考え始めるんです。
隣国の方に対する考え
人の考えと価値観は環境に影響されるのは言うまでもない。
隣国に暮らしている人々が台湾人として納得できない発言、行動をしたとしても、もちろん悔しいですし、ムカつきますが、仕方がないと思うしかありません。
なんと言っても、その人たちは自由もなく、監視されながら生きています。
父が一度Wechat(中国のライン)上で友達と政治的なチャットをしていたら、翌日、アプリにログインできなくなり、ブロックされました。
あなたを傷つけたのは警察だったら
前回の香港デモで怪我した人がたくさんいました。
怪我させたのは司法の番人である警察です。あなただけではなく、家族、周りにいる友達も同じような状況にあってます。
さて、誰に言えば正義が認められるのか。
そもそも、正義の定義が政治によって変わったら、どうしたらいいのか。
いつ恐怖から解放されるのか
いつ恐怖から解放されるのかはわかりません。
これからの世界がどう変わっていくのかもわかりません。
自由で、一応平和である今この瞬間、この日々を最大限に楽しみたい。
この世界のために何か貢献できれば、いいなと、、、思っています。